最後の夏
今更ながら今年の夏は平成最後の夏とのこと。生まれは昭和、育ちは平成な私としては勝手ながら平成と共に成長し大人になった気がしているので、そんな平成の「最後の夏」なんて聞くとどうしても感傷的な気持ちになってしまいます。暑い夏は苦手だしこれまでだって別に平成を強く意識してきたわけでもないくせに単純なものです。
私が子供の頃の夏休みの遊びと言えば毎日が山、川、森のローテーション。たまのインドアならファミコンやスーファミ若しくはゲームボーイで、友達の中でも通信ケーブルを持ってる奴は重宝されました。で、ゲームに飽きるかそこの家の親に外で遊べと追い出されて結局また山や川で遊ぶことになるわけです。多分あの頃の田舎の子供の平均的?夏休みではないかと。
「昭和のあの頃」的な番組を観て「この時はちょうどXX歳で、どこどこに住んでてああしてこうして(中略)…あぁ、あの頃はいい時代だったなぁ」なんてしみじみ話す父や母に、内心で「いやどう考えても今の方が絶対いいだろ…」なんて常々考えていた自分がまさか今、平成初期のあの頃を思い出して同じようにあの頃はよかった…なんて思っちゃってるのだから月日の流れを感じずにはいられません。朝早くから夕方日が暮れるまで遊びに遊び尽くしていた私が今や結婚して子供までいて、過去を回想して感傷に浸っているのだから30年ってやっぱり長いよなぁなんて思います。
自分が大人になって変わったように、あの頃早朝から友達とクワガタやカブトムシを捕まえに行った雑木林はもう何年も前に造成されて宅地になり家が建っていますし、実家の周辺も道が広くなり町並みは小綺麗になり、コンビニが増えた代わりに近所の駄菓子屋は閉店しました。自分の通った小学校がやたらと小さく見えます。
かつての友達の自宅の電話番号はいまだに覚えていますが、肝心の友達が今どこで何をしているのかも携帯の番号も知りません。最後に会ったのがいつだったっけ?なんて記憶も曖昧だったり。
そんな、今となってはどうしようもないことが多いせいで特に思い出補正がかかっているのかもしれませんが、夏休みに姉と留守番しながら食べた昼食の炒飯やラーメンの味とか平成と言うより最早昭和の頃の古いNationalの扇風機とか、友達の家の冷蔵庫に無造作に貼られたシールとか、釣りをした川や夕立の匂いにヒグラシの鳴き声とか、そんな自分の記憶の中にのみ残っているあの頃の夏の風景と思い出がとても懐かしく思えてきます。
ネット環境もスマホも、今や必需品となったモノの多くがない不便な時代でしたが、それでもやっぱり自分にとってはあの頃はよかったと感じます。きっと40代も50代も60代も、皆それぞれがそれぞれの少年時代を思い出してそう考えるんでしょうね。あの頃当たり前のように過ごしていた日々を今になってそう思えるというのはある意味ありがたいことなのかもしれません。
お盆が過ぎ甲子園も終わり、暑さのピークも過ぎた気のする今日この頃。少しずつ夜明けまでの時間が長くなり、朝の空気に秋の気配を感じ始めるようになりました。日中はまだまだ暑いけれど確実に平成最後の夏の終わりが近付いていることを実感します。
暑さにはうんざりしながらも今年は平成の終わりを意識しながら夏を多く撮りました。平成が終わっても変わらず夏がやってくるのは分かっていつつ、それでも名残惜しさがいつもより強い気がします。
…とはいえ今も日中は毎日まだまだ30℃を余裕で超えますし、いよいよ涼しくなるまでは嫌でも最後の夏気分を味わえそうです。あともうしばらく平成の夏を回顧しながら、そして時折感傷に浸りながら過ごしたいと思います。